クメール・ルージュがいたタイ国境付近のカンボジア事情その1 〜ソタム氏の悲劇〜 Posted by 管理者 On 2016年1月13日 2017年3月23日 大久保 泰邦 PDFを閲覧する サマリー カンボジア西部、タイ国境に近い地域はかつてプノンペンから逃れてきたポル・ポト率いるクメール・ルージュが占拠していたところであった。 そこには多数の地雷が埋められており、今でも現 地住民が地雷を踏んで爆発するという悲惨な事故が起きている。 日本人はこの地域を危険地域というレッテルを貼り、ほとんど立ち入らない。 僅かに地雷除去のプロジェクトを起こし、技術協力を している程度である。 しかしクメール・ルージュが去った後、この地域は平和が戻り、タイ、中国、韓国などが経済協力を行い、発展を続けている。 日本人はこの事実をほとんど知らない。 この報文の目的は、日本人にクメール・ルージュ支配終焉後に起こったこの地域の実態を報告することである。 投稿者:大久保泰邦 Category:オピニオン(WEB学会誌) 日付:2016年1月13日 公開日: 2016年1月13日 コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です Comment Name * Email * Website
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